戦災復興祭

2014.08.03.Sun DIARY

みなさんこんにちわ。

灼熱の8月。

毎年のことながら、「いつもこんなに暑かったっけ?」

と思ってしまいます。

でも、こんなに連日35℃の「真夏日」になることはなかったはず。

まぁ気温に関して愚痴っててもしょーがありません。

と、いうことでとある作戦をたてました。

その名も、心頭滅却すれば火もまた涼し 作戦。

入念に練られたその作戦の内容は、「暑くないっ」って思うようにすることです。

まさに完璧。

ペンタゴンもしくはCIAあたりからも問い合わせがありそうなこの作戦。

早速実践してみたいと思います。

それでは外へ…。

….

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暑い!!!

めっちゃ暑い!!!

なにこれ暑い!!

退散!!

….

….

ふぅ。

暑かったです。

さて、毎度のくだらない話は置いといて。

長岡では、一昨日より長岡祭りが始まっております。

祭りのメインイベントは、日本三大花火に数えられる長岡大花火大会。

説明するまでもないとは思いますが、8月2、3日にわたって行われる花火大会です。

少し気になったので、この長岡祭り、そして長岡花火の起源を調べてみました。

今から69年前の1945年8月1日。

夜の10時30分から2日の0時10分までの1時間40分もの間。

アメリカ軍のB-29戦闘機から長岡市中心部へ多量の焼夷弾が投下されました。

この長岡空襲によって長岡中心街の8割が焼失。

人たちは皆恐怖に怯え、1485人の命が奪われました。

この空襲からわずか1年後の1946年8月1日に始まった戦災復興祭が長岡祭りの始まりと言われています。

実は、長岡花火の始まりはこれとは別で、1879年9月14、15日の千手町八幡様のお祭りに、長原などの遊郭関係者がお金を出し合い350発の花火を上げたことが起源とされています。

本格的に花火大会になったのは1906年。

長岡花火となったのが1951年のことです。

ちなみに、この長岡花火とは別に、8月1日22時30分には慰霊の花火として尺玉が上がり、長岡中心を流れる柿川では灯篭流しが行われています。

そんな長岡花火。

昨日も打ち上げ場所近くまで行き見ていました。

大小の花火が次々打ち上げられ、会場は大盛り上がり。

そしてもはや長岡花火の「顔」になったフェニックスの打ち上げが始まりました。

今年は例年よりも打ち上げ時間が長く、そのあまりの迫力に会場中から驚嘆の声が上がってました。

打ち上げが終わり会場中の大拍手のなか、隣にいる連れを見てみると…。

泣いてました。

その時は笑って終わりましたが、今思えばフェニックス花火も復興の花火。

しかもまだ10年しかたっておらず鮮明に当時の記憶が蘇ってきます。

私が住んでいる町も半分以上の家が倒壊、損壊していました。

誰とも連絡がつかず不安になった記憶があります。

そんな思いを持って改めてフェニックス花火を思うと、様々な感情がこみ上げてきますね。

今日は昨日とは反対側で観覧する予定なので、精一杯感動してこようと思います!!

そして、連日ラジオなどで言っていますが、長岡祭りは日本一マナーの良い祭りを目指しています!!とのことなのでマナーを守って楽しんできます!

もしどこかで見かけたら遠慮なくビールを買い与えてあげてください!!

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