RENAULTの父と戦争と歴史

2013.08.08.Thu DIARY

 

Louis Renault  (1877 – 1944)

 

ルノーの歴史は1898年のクリスマス・イヴに始まります。
21歳のルイ・ルノーは三輪車をベースに改造した車で、それまでどの自動車も登れなかったモンマルトルの坂道を苦もなく登ってみせたのです。冷やかし半分に見ていた友人達もこれにはびっくり。その性能の秘密は彼が発明したダイレクト・ドライブ・トランスミッションでした。これは後に特許を獲得し、世界中の自動車メーカーに採用された技術です。ルイはその場で同車12台分の注文を受け、これが彼の車作りの幕開けとなったのです。

ルイ・ルノーは兄マルセルとフェルナンと共に翌年の10月、「ルノー・フレール社」を設立。商人だった2人の兄の資金とルイの機械造りの才能が統合した結果、会社は瞬く間に成長していきます。数々のレースに積極的に参加しては勝利を収め、顧客を獲得していったルノーは、やがてパリ市のタクシーの大量生産を受注。ルノーは手作り生産から分業による大量生産に移行します。
第一次世界大戦では、このタクシー1200台が対独戦においてフランス兵の輸送車として大活躍しました。
これが「マルヌのタクシー」です。

その後もルノーはフランス軍の主要サプライヤーとして生産を拡大していきます。あらゆる車種の車に加え戦車、航空機エンジン、航空機にいたるまで製造。しかし第二次世界大戦でフランスがドイツに降伏すると、ルノーはドイツ軍の圧制下に置かれます。それは自動車メーカーとして避けらぬ運命でした。
しかしこの結果、フランス解放後ルノー社の資産は国に没収されることとなります。

 

RENAULT JAPON公式サイト内「ルノーの歴史」より 

  

 

  

 

  

 

 

 

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