ルノー・スポールを語るには欠かせない!~ヴォワチュレット編~

2020.06.26.Fri DIARY

ルノー稲城 セールスアドバイザーの齊藤です。

 

梅雨明けが待ち遠しい今日この頃ですが、皆様にお変わりはございませんでしょうか?

より一層体調管理にはお気をつけてお過ごし下さい。

 

ルノー稲城がルノー・スポールスペシャリストディーラー認定店舗となってから2ヶ月。

日々、皆様にルノー・スポールの情熱をお届けできるように活動させて頂いております。

そこで、さらに情熱をお届けできるように、

ルノー・スポールを語る上では欠かせない車の数々をご紹介させて頂きます!

 

本日はその第1弾目

ルノーの創立者 ルイ・ルノーが発明した「ヴォワチュレット」をご紹介致します!

当時14歳のルイ・ルノーはエンジンの研究に熱心に取り組み、21歳で自ら購入した三輪車の改造までも行っていました。

この時の改造が彼の車作りのスタートとなりました。

 

まずは、エンジンをリアからフロントへ移動。車輪を1つ増やし、4輪車へと作り直し。

さらに、直結のダイレクトドライブや今では当たり前に装備されているリバースギアの内蔵など、

後のフロントエンジン・リアドライブ方式(FR)の原型となる

「ダイレクト・ドライブ・トランスミッション」も発明しました。

スポーツカーと言えば「FR」と思い浮かべる方も少なくないかもしれませんね。

(私もいつかサーキット場でドリフト走行してみたいなあ・・・)

 

そして、完成したのが「ヴォワチュレット」です!

あの数々の自動車が登ることが出来なかったと言う「モンマルトルの坂道」も楽々登り切ったという話も有名ですよね!

 

いや~21歳でここまでとは恐るべしルイ・ルノーですね。

(何やら彼はもとより発明家を目指していたようで、自ら自動車を製造する気はなかったとか。)

 

その後ルイ・ルノーは自らステアリングを握りレースへと参戦します。

理由は単純明快。

「なぜレースに出るのか = そこにレースがあるから、そこにクルマがあるから」

 

 

1899年8月のパリ-トルヴィルのレースでは1位タイの結果を出し、3日後のパリ-オステンドのレースでは

見事ヴォワチュレットクラス(400kg以下)で1位を獲得しました。

勢いは止まらず、1902年のパリ-ウィーンのレースでは兄のマルセルが総合優勝を飾りました。

ルノーは独自開発の3.77リッター4気筒エンジンを搭載し、13.7リッターのパナールなどが出場する中、

軽量で機敏、そしてパワーだけに頼らない車で勝利を掴みました。

 

しかし、翌年のパリ-マドリードのレースで悲劇が起こります。

兄のマルセルがコースアウトをし、自らの命と観客や参加者の命が犠牲となってしまいました。

これ以降、都市間で行われるレースは禁止となり、ルイ・ルノーは自らレースに出場することはしなくなりました。

 

まだまだお話したいところではございますが、長くなってしまいそうなので割愛させて頂きます!

この続きは是非ショールームにてお話できればと思います。

 

次回は、戦後のルノー復興の礎となった「4CV」をご紹介致します!

 

試乗申込はこちら
カタログ請求はこちら

Renault Japon OFFICIAL SNS