皆様ごきげんよう。またまた台風接近中ですねぇ、最後の台風になることをせつに願いましょう。
さてさて先日、4度目のここに行きました。以前はことごとく休館日でしてやっとです。
今は、名刀(妖刀)村正展をやっております。村正って桑名発祥やったんですねぇ~。
遠くから見に来る人もいるようで、若い女性にも人気があるそうです。ちなみに私はあんまり興味がないのです(笑。“せっぱつまる”って言葉知ってますよね。それも日本刀の部品から来てるようで、私は恥ずかしながら初めて知りました。(ググってみて下さい)
桑名市博物館は写真禁止だったのであまり画像はありませんが、戦国~江戸~明治の資料が多くありました。村正もしかりですが、江戸幕府が開かれると西国と東国の境界であり交通の要衝として桑名は栄えていた資料などが数々あり中々みごたえがありました。ぜひ、興味の有る方は行ってみてください。
ここ、熱田~桑名を船で繋いでいた“七里の渡跡”。この鳥居は、東から伊勢神宮に向かう伊勢国最初の鳥居として立っていました。
七里の渡しを反対側、この堀(川)は桑名城の外堀にあたる運河。
海上交通と陸上の狭間だったのでこんなのも有ったんでしょうね~。
この辺りは、割烹などの料理屋さんが多いです。昔の街道のなごりでしょうか。
春日神社は、桑名の由緒ある神社。石取り祭もここで行われます。
江戸町~片町へ。
まっすぐ来た街道は、ここで右に曲がります。
ここからまた左に曲がります。
ここの曲がり角には昔、京町見附(番所)あったそうで、ここを通る旅人を監視してました。
ここから吉津屋通りと言い、昔、外堀の運河から運び降ろされた物資を入れておく倉庫が多く建っていた場所なんだそうです。
吉津屋通りを過ぎると、鍛治町に入ります。
ちょっと寂しい感じですが、桑名は村正などを代表とする刀=鉄製品を昔から多く生産していた所、今も多くの町工場がります。
ここから街道は、右に曲がりすぐ左に曲がります。ここにもまた見附がありました。
こうして東海道は、一度城下に入ると右や左に曲がって、人の往来スピードをさげて、監視したり、すこしでも町に長く留まらして、町を発展させようとしたんですねぇ~(^^)。
桑名はかつて、街道の要所として栄え今も多くの名残が残っています。ご興味がある方はぜひ行かれてみてはどうでしょ。