皆様ごきげんよう。4月になりましたねー。今年の桜は、一期に満開になり早々に散っていく感じになりましたよね~ん~なんか残念な感じ~~。さあ新年度の始まりました。今年度もルノー四日市ブログを宜しくお願い申し上げますm(_ _)m。
さてさて、今回は!久々(?)の城話でございます。またかよ~って思われてお見えの方、その通りなのですです(・∀・)!。せっかく名古屋に行ったので、ちょー久々に行ってきました名古屋城、いや~さすが将軍家康が各大名に造らせた城ですねー。
名古屋城二の丸東門枡形から行きますー(^^)。立派な枡形の石垣です~ここ名古屋城は御三家筆頭、尾張徳川家の城であり、西国(外様大名が多い)有事の際に、兵力や物資を集結させる徳川軍にとって重要な城で、当初の縄張(設計)では日本一の規模になる予定だったようです。
表二の門。これは現存している建物で重文(重要文化財)です。ここをくぐると本丸になります。
左むこうには西南隅櫓(未申櫓)。これらも現存している建物で、もちろん重文です。
中に~(^O^)。
名古屋城の本丸御殿は、二条城と同じ、将軍が上洛する際の宿舎として使われていたので、大層な造りであったようです。
御殿は天守閣もろとも戦時中の空襲で焼けてしまいましたが、取り外せた建具などは別のところに保管されていて戦火を免れたので、今こうして御殿を復元しています(^O^)。
向こうに見えるは、名古屋城天守閣ビルディング(^^)。俗に言う“復興天守”というやつです。ビルにはあまり興味が無いので。。。(^^)
必見ですな(@@)!。
大きな倉庫のような建物の内部では、御殿の復元工事が急ピッチでされています。
見えるのは天井の梁の部分。写真ではわかりにくいと思いますが、かなり大きい立派な材木が使われています。
こちらは野地面まで完成しているようです。あとは瓦葺きですかねー。
名古屋城本丸御殿の復元工事。なかなか見どころありでございました(^^)
本丸の東側に、移設された二の丸東二の門が有ります。これも移設されてますが重文。現在の名古屋城の建物は、現存しているモノ6つがそれぞれ重要文化財の指定を受けています。戦中に爆弾で燃やされてなかったら、すべて国宝になっていただろうに残念です。。。(´・ω・`)。
久々に来た名古屋城。御殿の復元工事は今しか見れないので、ぜひ興味の有る方は行かれてはどうでしょうか(^^)。
こちら城の北西側。見えるは西北隅櫓(戌亥櫓)これも現存する櫓で重文です。外堀とのコントラストが良いですよねー(^^)。さて一つ質問です!北西と西北。どっちがどっち??(笑。
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