皆様ごきげんよう。今日もエエ天気ですね~寒いけど。。。インフルエンザが流行っているようです。体調には十分お気をつけになり元気に冬を楽しんでいきましょう。
さて先日、亀山市関町を走っておりました。ここから見える山の形が独特で、昔の人もあの山を見て、『さあ、山越えれば近江やぁ。』って思っていたのかな~(^^)。
国1を鈴鹿峠方面に~途中の信号を右に入ると関町坂下。
ここにある鈴鹿馬子唄会館前の駐車場で、コチラの文明の力とはお別れ(^O^)。
さぁ、昔の旅人に思いを馳せながら、箱根にならぶ難所“旧東海道鈴鹿峠”をめざします(^o^)/
安藤(歌川)広重の東海道五十三次 坂下宿。まさにこの景色、描いてある旅人や馬をひく馬子(まご=宿~宿へ旅人の荷物を預り馬に載せ運ぶ人。ポーターみたいなモンですかね)の気持ちになりながら~(^^)。
現在の坂下。今は閑散としてますが、150年前は東海道でも有数の宿場町やったらしい。。。
本陣とは、江戸時代、大名や旗本など上級の武士を泊める為に選ばれた宿。坂下には多くの本陣、脇陣(本陣より規模が小さい)がありたいそう賑わっていたそうです。
坂下の集落を越え~しばらく国1を走るトラックを眺めながら歩くと。。。
道はまだ舗装されているが、段々と文明から遠ざかっていく感じがエエです。
林道を進むこと数百メートル、片山神社があります。ん~どう見ても歴史がありそうな。。。
石碑に有りますが、“延喜式”というのは平安時代に造られたと言う意味なんだとか。またこの石垣がなんか凄い‼エエ感じ!!!。ぇつ?分かりません?(笑。
片山神社を過ぎ、ここから峠までの急坂を八丁二十七曲りといい、旧東海道鈴鹿峠 最大の難所であり、あまりの急な坂道に駕籠屋は横になりカニ歩きで歩いたとか~。昔旅人が歩いていたんやと。。。
ここからちょっと現実の世界に戻り、文明の階段を越えると。。。
あっ‼ここに出るんかぁ~!結構登ってきたなぁ~っとなります(笑。
さぁ、後半戦突入~(^^)。
やっと?のことで(^^)旧東海道鈴鹿峠に到着~。昔はさておき江戸時代にもなると、峠にも茶店が出来てて、まんが日本昔話に出てくるような、真っ暗で物騒な所では無かったようです(^^)。
さぁ、すぐそこは近江の国。歩いて越県したんも久々やぁ(^^)。
今回の目的達成!!~。昔の旅人の気分にもなれました。帰り道~
途中~こんなモンが。。。田村神社って元々ここにあったんやぁ~。ちなみに田村神社、前の説明にもありましたが、大和~平安時代にかけて活躍した坂上田村麻呂が、山賊退治をしたことから来たもののようです(^^)。
さぁ獣道を少し行くと、確かに鏡のようなシルバー色の岩が。。。
ここからの景色は最高ーっ(^^)。始めに出てきた東海道五十三次の坂下の絵みたいでしょ。
片山神社に到着。すると1人のおじさんが居たので挨拶してみたら、この旧東海道のことについて、ちょー詳しい。。。いろいろ教わってたら、正調馬小唄保存会の方でした。そら、詳しいはずです(^_^;)
一枚の紙を渡された。その紙には、クイズ型式で旧東海道坂下~鈴鹿峠のことが多く書いてありおもしろそう(^^)。坂下の馬小唄会館、関宿の西の追分にも置いてあるそうです。ちなみに馬小唄とは、馬子が歌ってた“仕事唄”なんだそうです。
車ではよく通る鈴鹿峠。そこにはまだ奈良時代から続いた旧東海道鈴鹿峠が残ってます。興味の有る方、ぜひ行ってみてください。運が良いと正調鈴鹿馬子唄保存会のUさんに鈴鹿峠のことを教えてもらえます(^^)。
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