皆様ごきげんよう。もう三月になりましたねぇ~。我々自動車販売業界にとって、最大の稼働月であります。猫の手も借りたいくらい・・・・どっかで貸してもらえませんか(^^)?
さて先回、東海道の四日市がちらっと出てきましたが、今回はガチで行きます(^^)。東海道、江戸から数えて47番目の宿場町
どよーんとしてますが、この日、中国さまから要らんモノが届いておりました。その名も“PM25”(-.-;)。日本まで飛んでくるんやから、当事国はえらい事になっているのでしょうな。。。
この会津屋さんは、おこわが食べられるお店。お昼は結構な混み具合です。。。昔は旅籠やったそうです。
この季節、関宿では『雛人形』が多く飾られていて、街を賑わせています。
これは江戸時代の雛人形。見て頂くと分かるように、段飾りでなく、御殿の中に二組のペアが配置されています。天皇皇后陛下と皇太子皇太子妃でしょうか。雛人形飾りの初めの頃は、綺羅びやかな宮中を再現して人形遊びをするジオラマのようなモノやったんでしょうかねぇ。
ここは、関郵便局。江戸時代は高札場(幕府や領主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所)でした。
ここ、玉屋は関宿でもトップ2の旅籠やったところ。現在は、その時代の宿屋(高級旅館ですかね)を見学出来るよう亀山市が譲り受け復元展示しています。
炊事場。松坂の豪商邸ほどではないですが、大きな竈が有ります。
裏庭には土蔵があって、なんとこの蔵の中には、歌川広重作、東海道五十三次の本物が2点展示されています!(^O^)
土蔵潜入~。しかし、東海道五十三次は撮影禁止(*_*)です。
となりは当時の旅人が泊まった部屋を再現。えらく寒そうな布団ですね・・・・^_^;
東の追分です。東海道と伊勢街道の分かれ目。関宿の古い街並み東の起点になります。
この鳥居は、伊勢街道に入る事を示す一の鳥居。鳥居は、遷宮ごとに伊勢神宮から移し代えられる由緒のあるものです(・∀・)!
関宿は江戸時代、多くの旅人が通った東海道から、伊勢神宮へ向かう伊勢街道、伊賀・奈良方面に向かう大和街道の分岐が重なる宿場として大いに栄えたそうです。今回、紹介出来なかった場所、建物、お店もまだまだ有ります。暖かくなったら一度行って見てください。
西の追分~東の追分間1.8kmを往復、少しだけ江戸時代の文化に浸れながら、汗にもまみられまする(≧∇≦)/。
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