皆様ごきげんよう。週末の雪、大丈夫だったでしょうか。目まぐるしく気温が上下しますので、体調管理気をつけて行きましょうー!
この駐車場に車を停め、松阪の方はもうお分かりですかね(^^)。
戦国末期、蒲生氏郷によって築かれた城で、城郭の石垣は穴太衆とよばれたプロ石積工に寄るものだそうです。
現在、伊勢神宮おかげ参りが始まった頃の資料を展示中。結構良かったですよ(^^)。
古墳の石棺も使われました。奈良の郡山城は石仏でしたよね。。。(^_^;)。
江戸時代、松阪城は紀州徳川の直轄となり、警備を担当された藩士(御城番)とその家族が住んだのがここです。
その一戸は松阪市が借りており、一般公開されております(^^)。
松阪城御城番屋敷。跡ではないです。現在もその子孫の方が大切に屋敷の維持管理をされていて、長い年月を経た今日も往時のままの姿を残しているのだそうです。
松阪は、もともと松坂と書き、蒲生氏郷が豊臣秀吉の家臣だった頃この地に来て、縁起のいい松と、大坂(当時の大阪)の坂を取って松坂としたそうです。蒲生氏郷は松坂城下の経済発展に力を注ぎ、そのかいあって、江戸時代になると商人の町として大いに栄えました。その松坂商人屋敷が今も多く残っています。その一つへ~。ちなみにこの向こう右手には豪商三井家発祥の地があります(^^)。
三井家発祥の地の並び有るここ松阪商人の館は、江戸時代の豪商小津清左衛門家を松阪市が譲り受け改築し、当時の豪商の様子が見学できる資料館になっています。しかし豪商ばかりやなぁ(^_^;)。
左は内蔵。正面は前蔵。前蔵の横にはかつて大蔵があって、そこからは“万両箱(展示されてます)”が出て来たとか。。。
松坂商人の生活の様子が目で見られる松坂商人の館、中々のものでした(^^)。
松坂・・・今は大阪と同じく、松阪と書きます。戦国時代~江戸時代の暮らしぶり、身分は高いが質素な武家と豪商の暮らしがわかる松阪散策に一度行かれてみては(^^)。和田金で松阪牛豪食ってのも良いですね~(笑。あっ、私には無理ですヨ(´・ω・`)。
四日市Facebook!!