matsusaka

2014.02.10.Mon DIARY

皆様ごきげんよう。週末の雪、大丈夫だったでしょうか。目まぐるしく気温がしますので、体調管理気をつけて行きましょうー!

さて先日、松阪へむかっておりました。来たのはここ(^^)。

この駐車場に車を停め、松阪の方はもうお分かりですかね(^^)。

はい。松坂城跡です!!(^^)。

戦国末期蒲生氏郷によって築かれた城で、城郭の石垣は穴太衆とよばれたプロ石積工に寄るものだそうです。

表門跡。かつては櫓門がたっていました。

およみくだされ(^O^)/

本丸に入る手前には『松阪市民族資料館』があります。

現在、伊勢神宮おかげ参りが始まった頃の資料を展示中。結構良かったですよ(^^)。

ここからが本丸。

鐘ノ櫓跡の石垣に登り。

本丸を囲う城壁の跡の上を(^^)。

歩いて。

鐘ノ櫓跡~中門上まで、なんと本丸の周りをほぼ一周歩けます

きれいに城壁が残ってる証拠なのでしょうね(・∀・)。

本丸、左の石垣は天守台。

天守台には~

古墳の石棺も使われました。奈良の郡山城は石仏でしたよね。。。(^_^;)。

中門を降りると右手に有るのは

隠居丸現在、本居宣長の旧宅がありますが、今回はPass。

裏門を出て。

今回見たかった(^^)、御城番屋敷にきました。

江戸時代、松阪城は紀州徳川の直轄となり、警備を担当された藩士(御城番)とその家族が住んだのがここです。

その一戸は松阪市が借りており、一般公開されております(^^)。

150年前の武士の生活を見ることが出来ます。

庭。

座敷にも上がらせてもらえます。

江戸時代から変わらないであろう景色(╹◡╹)。

松阪城御城番屋敷跡ではないです。現在もその子孫の方が大切に屋敷の維持管理をされていて、長い年月を経た今日も往時のままの姿を残しているのだそうです。

松阪は、もともと松坂と書き、蒲生氏郷が豊臣秀吉の家臣だった頃この地に来て、縁起のいいと、大坂(当時の大阪)のを取って松坂としたそうです。蒲生氏郷は松坂城下の経済発展に力を注ぎそのかいあって、江戸時代になると商人の町として大いに栄えました。その松坂商人屋敷が今も多く残っています。その一つへ~。ちなみにこの向こう右手には豪商三井家発祥の地があります(^^)。

三井家発祥の地の並び有るここ松阪商人の館は、江戸時代の豪商小津清左衛門家を松阪市が譲り受け改築し、当時の豪商の様子が見学できる資料館になっています。しかし豪商ばかりやなぁ(^_^;)。

読んでみてくだされよ(^^)。

ちょー広い!ダイニング?

キッチン?

天窓。

庭。

中庭。

左は内蔵。正面は前蔵。前蔵の横にはかつて大蔵があって、そこからは“万両箱(展示されてます)”が出て来たとか。。。

松坂商人の生活の様子が目で見られる松坂商人の館、中々のものでした(^^)。

また、市営駐車場まで歩きます。途中に。。。(・・)。

豪商長谷川家でありました(^_^;)。

松坂・・・今は大阪と同じく、松阪と書きます。戦国時代~江戸時代の暮らしぶり、身分は高いが質素な武家と豪商の暮らしがわかる松阪散策に一度行かれてみては(^^)。和田金で松阪牛豪食ってのも良いですね~(笑。あっ、私には無理ですヨ(´・ω・`)。




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