皆様ごきげんよう。1月も半ばが過ぎ明日は大寒。まだまだ寒い日が続いていきますが、お体充分にご自愛くださいませ。
さーてっ(^O^)、2015年 “初城” 行きましょっかねーぇ。また城かーって思って見える方、ええ、まったくそーなんです(^^)。 三重県の県庁所在地は津市という町であります。四日市市の方が人口が多いし立派?なのですが、太古から伊勢の政治の中心は津にあり、古い時代、日本有数の港町として栄えていました。戦国時代には尾張の織田信長の弟、信包がこの地を治めておるわけですが、その時、安濃津(現在の津市)にあった砦を本格的な平城に造り変えたようでして~信包が造ったと言われる安濃津城は徳川時代に移封してきた築城の名手“藤堂高虎”によって大改修されるわけです。
昔の姿はこんな感じ(^O^)/、安濃川、岩田川を第一線の防御に、城の西側に武家屋敷群、東側に寺町や堀川を造り防御に仕立てていたようです(^^)。
グーグルマップに昔の堀を書き込むとこんな感じ。津を知ってお見えの方には中々面白いかと。。。(^m^)。
現在は北側内堀の一部と西之丸、本丸しか残っておりません・・・どうぞ(^O^)/。
では、西之丸に行ってみましょう。少しだけ枡形虎口(コグチ=出入口)が残って。。。感じです。
本丸の石垣。さすが藤堂高虎って感じがします(^^)。ここから本丸~
この石垣の向こうは堀になっており、石垣の上には続櫓が造られていたそうです。
この石垣は本丸をぐるっと取り囲むように造られておりました。なかなか鉄壁の防御です。
現在唯一ある建物、丑寅櫓が遭った場所に模擬で再建された隅櫓。あるまでも模擬です。。。(´・ω・`)。
う~ん鉄筋コンクリートの香りがしますな。。。(´・ω・`)。
続き櫓台から見た北側の堀。昔は100Mくらいの幅があったと。。。
続き櫓台の南側~
本丸御殿が有ったところは噴水が~子供の頃よく来ました(^^)。
このロアールって書いてある建物、なんやらお城っぽいカタチをしておりますが、昔は子供なら誰もが喜ぶオモチャ屋の“ウシバ”やったところ。よくココで牛歩戦術をしたものです(*^_^*)。あっ、今回の話とはまったく関係ございません。。。
橋の下は今でも船で通れるのですが、ここが津城の東に掘られてた堀川のなごり。堀川は、城の東側の防備と船を引き入れ荷物の流通を良くする運河の役目をしてました。
現在これだけしか残っていませんが、突き当り右へ~23号線バイパスまで抜け、パイパスにそるように堀が造られ、海からの物資は、この堀川に集められ、堀川の西側(写真左側)にあった城下町(商業地)に運び込まれました。
今は殆ど残っていない津城跡、藤堂高虎や言うても、あまりに近すぎて有り難みが薄かったですが、今回見てみて立派な城やったんやなぁ~と感心しました。また機会あるときにでも訪れてみてくださいまし(^^)。
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