皆様ごきげんよう。ゴールデンウィーク如何でしたでしょうか。ちょっと小寒い
と言うより、寒い!日が続いたGWでしたので、私は風邪気味です…(*_*;
さてさて、その風邪気味の私。風邪ひく前はどうやったかというと、
バイクに乗ってました(^^)。去年、但馬国『竹田城』へ行ったのですが、
今年は、流石の寒さに負け、近所の城を偵察に。。。。
~5/1~ちょ~寒い日でありました(*_*)
気温10℃の関を抜け
水口には2つ城跡があって、一つは羽柴秀吉の命で造られた“水口岡山城”と、ココ、徳川家光の命によって造られた“水口城(将軍の宿泊所、御茶屋)”です。
中は、お約束通りの“資料館”になっており、
親切なおばちゃんが
城代を任されておりました。
お茶まで頂いて・・・・(^^ゞ。
平和な時代の城ですな。二条城みたいな役割の城で、御殿のみが建っていたらしいです。
二階もあって畳が敷いてあり、電気コンセントがミスマッチですがなかなかの造りです(^^)。
交通の要として重要な位置に、“徳川将軍が休む城”として造られた水口城。明治維新後は、解体公売され石垣も大半が処分されたようですが、近年、将軍家宿館遺跡としての価値が評価され、郷土のシンボルとして保存整備されているそうです(・∀・)イイネ!!
~5/2~これまた寒い日でございました(*_*;~
来たのはここ、大和国郡山城!この城は、織田信長の援助で筒井順慶が築城し、後に豊臣秀吉の弟、秀長が紀伊、和泉、大和の三国を与えられ、それを納める城として、本格的な近世城郭づくりを進めた城です。
ココが天守台。小さく見えますが、当時の大和国は、石の調達に大変苦労したらしく、
お地蔵さんまで石垣に使われている類まれな天守台。
一見、バチあたりな構造ですな^^;。
こちら側は、毘沙門曲輪と反対側の堀(繋がってます)構造。高い本丸から堀、下の曲輪を見る。どこの城でもよくある感じです。
中には、最後の藩主柳澤家から寄付された貴重な資料が数多く展示されています。ここもよかった~。
大和郡山城。複雑に入組んだ堀、城郭の構造などなど、さすが天下人の弟が居た城やぁと思いました。
興味の有る方は、一度行ってみて下さい(^O^)/
ってことで、寒さの中。城見に行っていた私は次の日の朝、喉が激カワになって、ちょー痛くなりました……(*_*)風邪。
しかし5/3は、福井に向かってバイクを進めておりました・・・(^^)アホでしょ…
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